かいじ117号です。
入線日記65
3061-2 EF65 1000 後期形(JR仕様)
KATO 10-1484 24系25形寝台特急「瀬戸・あさかぜ」 7両基本セット
KATO 10-1485 24系25形寝台特急「瀬戸・あさかぜ」 6両増結セット
編成図(東京行きはEF65がは東京より先頭に連結します。)
高松⇦EF65 1000 オハネフ25-302 オハネ25-207 オロネ25-304 スハ25-302 オハネ25-158 オハネ25-175 オハネフ25-147 オハネ25-162 オハネ25-200 オハネ25-187 オハネ25-196 オハネ25-169 オハネ25-153➡東京
2018年6月12日発売品
寝台特急「瀬戸」が廃止されてもう20年以上になります。EF65 1000が発売されてから1ヶ月遅れで発売されました24系25形「瀬戸・あさかぜ」編成です。TOMIXの「あさかぜ西日本仕様』を欲しいと思ったときは発売後で中古市場では高値になっていましたのでKATOから製品化予告があったときは即予約しました。行先に「あさかぜ・下関」が印刷済ではなく「瀬戸・高松」が印刷されているのが個人的にもうれしいポイントです。EF65はJR東日本田端機関区、客車はJR西日本下関運転所にそれぞれ所属していますのでラベルは13-08 模型 JR東日本(機関車・事業用車)、15 模型 JR西日本にしてあります。
EF65 カプラー交換、ナンバーはKATOのポスターと同じ1105号機にしました。
こちらも付属品を取り付けてあります。4両目がラウンジカーですがわからないです。
反対側のオハネフ25-147 こちらは製品のままなので付属品の取付及びカプラーの交換はまだです。
スハ25-302海側です。埃が傷みたいに見えますね。
スハ25-302山側です。
行先は黒文字の「瀬戸・高松」となっています。その他の行先(あさかぜ各種及び瀬戸・東京など)は付属のシールで対応していました。JR西日本仕様の白文字黒幕のものも収録されています。
またHゴムも黒・グレーと使い分けられています。
編成唯一のA寝台シングルデラックスのオロネ25 304
最後に編成を。入りきらないので基本セットのみです。
『実車の紹介』
24系寝台客車はそれまでの14系寝台客車に寝台や備品の難燃化、不燃化を施し集中電源方式に改めて昭和48年(1973)に登場しました。翌昭和49年(1974)にはB寝台を2段化し居住性を改善した24系25形へ、昭和51年(1976)には一人用A個室新設と共にB寝台上下段固定式の100番台にアップグレードし、国鉄時代のブルートレイン完成形となりました。その流れの中で、共通運用されていた東京~宇野間の「瀬戸」および東京~下関間のいわゆる下関「あさかぜ」は、編成こそB寝台のモノクラス編成ではありましたが昭和52年(1977)10月に24系25形化されています。
昭和60年代になるとブルートレインのイメージアップが図られることになり、昭和60年(1985)の「富士」「はやぶさ」へのロビーカー連結を皮切りに列車ごとの個性化が進みます。昭和63年(1988)4月の瀬戸大橋線開通により「瀬戸」は高松への運行区間を延長、そして2年後の平成2年(1990)ついに「瀬戸」と下関「あさかぜ」のグレードアップが図られます。一人用個室寝台車シングルデラックスのオロネ25 300番台とラウンジカーを連結、電源車所要数の関係で両列車とも全区間が直流区間であることから、ラウンジカーの一部はパンタグラフとSIV装置が搭載されスハ25 300番台となります。客車ながらパンタグラフを搭載した姿は大変珍しく、注目を集めました。また、スハ25連結の編成には電源車が連結されないため、不足する荷物室を設置したオハネフ25 300番台が連結されていたことも特徴です。
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スハ25-302山側です。
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またHゴムも黒・グレーと使い分けられています。
編成唯一のA寝台シングルデラックスのオロネ25 304
最後に編成を。入りきらないので基本セットのみです。
『実車の紹介』
24系寝台客車はそれまでの14系寝台客車に寝台や備品の難燃化、不燃化を施し集中電源方式に改めて昭和48年(1973)に登場しました。翌昭和49年(1974)にはB寝台を2段化し居住性を改善した24系25形へ、昭和51年(1976)には一人用A個室新設と共にB寝台上下段固定式の100番台にアップグレードし、国鉄時代のブルートレイン完成形となりました。その流れの中で、共通運用されていた東京~宇野間の「瀬戸」および東京~下関間のいわゆる下関「あさかぜ」は、編成こそB寝台のモノクラス編成ではありましたが昭和52年(1977)10月に24系25形化されています。
昭和60年代になるとブルートレインのイメージアップが図られることになり、昭和60年(1985)の「富士」「はやぶさ」へのロビーカー連結を皮切りに列車ごとの個性化が進みます。昭和63年(1988)4月の瀬戸大橋線開通により「瀬戸」は高松への運行区間を延長、そして2年後の平成2年(1990)ついに「瀬戸」と下関「あさかぜ」のグレードアップが図られます。一人用個室寝台車シングルデラックスのオロネ25 300番台とラウンジカーを連結、電源車所要数の関係で両列車とも全区間が直流区間であることから、ラウンジカーの一部はパンタグラフとSIV装置が搭載されスハ25 300番台となります。客車ながらパンタグラフを搭載した姿は大変珍しく、注目を集めました。また、スハ25連結の編成には電源車が連結されないため、不足する荷物室を設置したオハネフ25 300番台が連結されていたことも特徴です。
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