かいじ117号です。
入線日記57
KATO 10-1501 189系「あさま」小窓編成 5両基本セット
KATO 10-1502 189系「あさま」小窓編成 4両増結セット
編成図(長ナノN105編成)
上野・横浜⇦クハ189-506 モハ188-6 モハ189-6 サロ189-1107 モハ188-26 モハ189-26 モハ188-27 モハ189-27 クハ189-7➡上田・長野
2018年7月31日発売品
また今回のHMは信越本線系に集中しています。廃止直前に運転されたマリンシティーは専用HMが用意されていました。最近調べていてわかったことなのですがこの編成はを少し変更すると中央線のE351系スーパーあずさ代走編成が作れます。なお、1997年11月13日以降にこの編成で運転された場合は列車名にスーパーがなくなり「あずさ4号・7号・12号・15号」として運転されました。
N105編成(1997年11月~1998年7月頃まで)
N105編成(1997年11月~1998年7月頃まで)
新宿⇦ クハ189-506 モハ188-6 モハ189-6 モハ188-26 モハ189-26 サロ189-113 モハ188-2 モハ189-2 モハ188-27 モハ189-27 クハ189-7 ➡松本
標準のあさまHMを先頭に先頭部のラインまわりもズレなくいい感じです。この部分の塗装技術はT社に大きく勝っていますね。KATO製は安心して購入できます。
最近の製品では号車番号や行先が印刷済みとなっています。またトイレ窓もいつからか白く印刷される様になりましたね。グレードアップ車に引き続き行先は「特急あさま 長野」になっています。上野でもよかったのですが。
クハ189-506です。上野側先頭車
モハ188-26 5号車
モハ189-6 3号車
サロ189-1107 非グレードアップ車のグリーン車のあさま色はKATOでは初の模型化ですね。
「そよかぜ」です。「そよかぜ」は平成8年・平成9年の運転は確認できました。国鉄時代から中軽井沢間までの輸送を担当してきたそよかぜも最後の2年は上田始発の上りのみ運転されましたが運転日は極少でした。
「マリンシティーあさま」は平成9年9月に運転された臨時列車で横浜~長野間で運転されました。臨時列車でしたが専用のヘッドマークが用意されていました。
「急行 妙高」です。夜行1往復となった1982年以降は車両がころころと変わり189系化されたのは1988年で定期列車としては93年3月で廃止となり、その後は臨時列車として運転されました。途中からは国鉄色に代ってあさま色での運転となりました。定期列車としての晩年は上野~長野間の運転で長野~妙高高原間は臨時列車扱いでした。列車名の地域まで運転されない列車となっていました。
『実車の紹介』
特急「あさま」は昭和41年(1966)11月に信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠を超える初の電車特急として誕生しました。上野から長野間が従来の急行では4時間30分かかっていたところを「あさま」は3時間30分で走破し、大幅なスピードアップを図りました。碓氷峠区間ではEF63形電気機関車と連結するために専用のクハ180を上野方に連結した181系8両編成を使用。昭和48年(1973)には食堂車連結12両編成の489系も仲間に加わります。昭和50年(1975)、老朽化した181系の代替としてついに183系1000番台をベースに横軽協調対応となった189系を投入、当初は所属の長野運転所設備の関係で10両編成でしたが、昭和53年(1978)に12両編成に増強されます。
国鉄分割民営化前後には編成両数の増減や改造車の編入を経て、平成2年(1990)に11両編成全てにグレードアップ改造と塗色変更を実施。残る9両編成も平成5年(1993)までに同様の明るいグレー地に緑・灰帯が配された塗装に変更が完了します。
長野オリンピック開催に合わせて平成9年(1997)北陸新幹線が長野まで開業、同時に平行する信越本線は横川~軽井沢間の碓氷峠区間を廃止、軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道に移管となりました。碓氷峠最終日となった同年9月30日夜、189系N105編成9両にEF63 3号機と19号機の重連が連結された碓氷峠下り最終列車「あさま37号」が長い汽笛とともに横川駅を発車、峠を上がっていった姿は今も伝説となっています。
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クハ189-506です。上野側先頭車
モハ188-26 5号車
モハ189-6 3号車
サロ189-1107 非グレードアップ車のグリーン車のあさま色はKATOでは初の模型化ですね。
「そよかぜ」です。「そよかぜ」は平成8年・平成9年の運転は確認できました。国鉄時代から中軽井沢間までの輸送を担当してきたそよかぜも最後の2年は上田始発の上りのみ運転されましたが運転日は極少でした。
「マリンシティーあさま」は平成9年9月に運転された臨時列車で横浜~長野間で運転されました。臨時列車でしたが専用のヘッドマークが用意されていました。
「急行 妙高」です。夜行1往復となった1982年以降は車両がころころと変わり189系化されたのは1988年で定期列車としては93年3月で廃止となり、その後は臨時列車として運転されました。途中からは国鉄色に代ってあさま色での運転となりました。定期列車としての晩年は上野~長野間の運転で長野~妙高高原間は臨時列車扱いでした。列車名の地域まで運転されない列車となっていました。
『実車の紹介』
特急「あさま」は昭和41年(1966)11月に信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠を超える初の電車特急として誕生しました。上野から長野間が従来の急行では4時間30分かかっていたところを「あさま」は3時間30分で走破し、大幅なスピードアップを図りました。碓氷峠区間ではEF63形電気機関車と連結するために専用のクハ180を上野方に連結した181系8両編成を使用。昭和48年(1973)には食堂車連結12両編成の489系も仲間に加わります。昭和50年(1975)、老朽化した181系の代替としてついに183系1000番台をベースに横軽協調対応となった189系を投入、当初は所属の長野運転所設備の関係で10両編成でしたが、昭和53年(1978)に12両編成に増強されます。
国鉄分割民営化前後には編成両数の増減や改造車の編入を経て、平成2年(1990)に11両編成全てにグレードアップ改造と塗色変更を実施。残る9両編成も平成5年(1993)までに同様の明るいグレー地に緑・灰帯が配された塗装に変更が完了します。
長野オリンピック開催に合わせて平成9年(1997)北陸新幹線が長野まで開業、同時に平行する信越本線は横川~軽井沢間の碓氷峠区間を廃止、軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道に移管となりました。碓氷峠最終日となった同年9月30日夜、189系N105編成9両にEF63 3号機と19号機の重連が連結された碓氷峠下り最終列車「あさま37号」が長い汽笛とともに横川駅を発車、峠を上がっていった姿は今も伝説となっています。
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